深田久弥は、石川県大聖寺町(現在の加賀市)生まれの作家。旧制福井中学(現 福井県立藤島高等学校)から第一高等学校に進み、文芸部で堀辰雄や高見順と知り合う。また山岳部員として山にも親しんだ。特に山に関する文章の執筆活動を行い、昭和38年に発表した『日本百名山』は高く評価され、読売文学賞を受賞した。丸岡町とは丸岡成人大学の講師を長く勤めた関係で、平成7年6月に丸岡五徳会が丸岡成人大学30周年を記念して、久弥句碑を丸岡福祉センクー前庭に建立した。
昭和45年5月の成人大学で詠んだ句が碑 文に刻まれている。 碑句 「城尊し 古き城 更に尊し」
城の町会館 霞1-13-1 電話0776-66-1276
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明治35年、福井市宝永に生まれ、叔父の皆吉家に養子として入った。養父の皆吉五郎は有馬家の家老職で維新後も官界にあり、明治37年から故郷丸岡町の町長を8年間勤めている。その後丸岡から三国へ、そして福井へと移っている。爽雨は丸岡の小学校から三国の小学校へ転校し、大正3年に福井中学に入学している。俳句をすすめられ俳号も爽雨と命名された。大正9年「ホトトギス」に初入選し、昭和7年にはホトトギス同人に推され、昭和13年には、第1句集『雪解』の誕生をはじめ『寒林』『雲坂』『緑蔭』と、戦後も創作活動をつつけ、「爽雨俳句の確立」となった。霞ヶ城(丸岡城)公園に父五郎(俳号五浪)との父子句碑が建つ。平成20年には五徳会が文化少年団創立10年記念して句碑を建立した。 |
開高健の祖父母が丸岡町一本田福所の出身で、丸岡町ゆかりの文学者としての偉大な功績を啓蒙し後世に伝承するために平成5年11月、ふるさと一本田福所に開高健文学顕彰会が発足。そして、翌6年10月文学顕彰碑が建立された。 開高健は、28歳の時『裸の王様』で、第38回芥川賞を受賞。その後、朝日新聞社臨時海外特派員として、ベトナム戦争戦禍の状況をルポタージュ。また、世界各地を釣り紀行しその一連の業績により、菊池寛賞を受賞するなど、従来の日本文学の枠を超えた行動派の作家だった。常に人間の原点と社会の組織に目を向け、現代社会と取り組むエネルギッシュな作家的姿勢を一貫した人である。
碑文『悠々として急げ』
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丸岡町一本田生まれの重治は、昭和期に活躍したプロレタリア小説家、評論家、詩人である。坂井市丸岡図書館内には、重治記念文庫があり、蔵書13,000点と遺品、原稿等が納められている。
丸岡町図書館 霞3-10-1 電話0776-67-1500 (中野重治記念文庫、小葉田淳記念文庫、今川節の部屋)
昭和58年に完成した町営図書館(現在は坂井市立丸岡町図書館)郷土の偉人である、中野氏・小葉田氏の記念文庫もある。
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