徳川家康の家臣本多作左衛門重次が陣中から妻に宛てて送った手紙として有名です。「お仙」とは後の丸岡城主本多成重(幼名.仙千代)のことです。(成重は初代丸岡藩主) この石碑が縁で、日本一短い手紙文の一筆啓上賞の起こりとなった。
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一筆啓上石碑が縁で1993年にスタートした「日本一短い手紙文コンクール」の一筆啓上賞は全国に一大ブームを巻き起こしている。その入賞作品の一部は一筆啓上茶屋横と本丸への登り階段脇掲示板に展示されている。 http://maruoka-fumi.jp
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城の内堀は埋め立てられて道路や学校の校庭、公園となっているが、外堀の一部は用排水路として現在もその面影が残っている。
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幕末の1852年に外国艦渡来に備えて築いた丸岡藩の砲台には今でも、土塁と5カ所に砲眼と呼ばれる大砲を備える切り通しが残されている。
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