○巻頭詩 未来への船出 …………………… 詩人 則武三雄
………(2ページ) ○グラビア写真集 高椋地区の仏像・新田義貞公眠る称念寺
………… (2ページ)
○もくじ………………………………………………………………………(3ページ)
○発刊あいさつ………… たかむくのまちづくり協議会会長 伊東 茂…(1ページ)
○祝辞……………坂井市長 坂本憲男 ・ 坂井市教育長 川元利夫…(2ページ)
「たかむく玉手箱」発刊に寄せて
たかむくのまちづくり協議会会長 伊東 茂
「たかむくのまちづくり協議会」は、坂井市からの要請を受けて、平成19年11月に設立されました。本会の目的は、坂井市の目指す「市民と行政との協働(相互に補完し、協力する)によるまちづくり」であり、「住民自治」による住みよいまちづくりを行おうとするものです。発足して3年目を迎え、高椋地区の各自治会、各種団体、そして行事に協力し、参加していただいた地域住民の皆様方に心から感謝申し上げます。 今後も当協議会にご理解・ご支援・ご協力を賜りながら、住みよい「たかむくのまちづくり」の推進に努めていきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。 さて、この度当協議会の歴史文化部会では、高椋地区の歴史・文化等を後世に伝えようと言うことで、「たかむく玉手箱」を発刊いたしました。 この読本は190ページにわたる大作になっていますが、身近なところでの歴史・文化が広範囲かつ数多く掲載されていますので、皆様方には新たな歴史認識や発見もたくさんあるのではないかと思われます。 ご覧いただきますと、私どもの「たかむく」の地は思っていた以上に古くから発達しており、数多くの歴史・文化等の遺産がある他、偉大な先人たちも多く、誇れる郷土であることが改めてお分かりいただけると思います。 この発刊を機に地元の歴史・文化についての認識を新たにし、正しく次世代に伝えられて行くことを期待しております。
平成22年3月
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第1章 時代の流れ
今から1万年前の高椋地区は大湖沼の多い内湾であったが,九頭龍川やその支流である竹田川,兵庫川,田島川の河川の土砂堆積により,次第に平野化していったと考えられる。縄文人たちは内湾に臨む丘陵地や台地に竪穴住居をたて,採集・狩猟・漁猟で生活をしていた。最近遺跡発掘調査した舟寄遺跡,舟寄福島通遺跡からは,今から4,500年前の縄文中期に田島川や兵庫川の水運を利用して発達した,舟寄地区の様子がうかがえる。 今から3,000年前頃,土砂の堆積が進み,坂井平野としての成立とともに稲作が始まり,人々は水田耕作に便利な土地や河岸段丘に集落としてまとまり始めていった。高柳・下安田遺跡からはその弥生期の高柳地区の様子がうかがえる。稲作にとって水運は生活の第一立地条件であり,人々は水運を得るために様々な苦労があったようである。当時は自然堤防であり,度重なる水害との戦いがあった。 5世紀の男大迹王時代から治水が進み,米作農業が発展し,豪族の出現を生み,米作のための治水である十郷用水の基礎ができた。中世には陸運にも恵まれ,北陸街道は東西文化の往来の道・宗教伝来の道・政治の道となった。一時は一向一揆の戦場と化すこともあったが,織田信長が一揆を平定した後,江戸時代には丸岡藩・福井藩等の藩政が264年間続いた。 明治維新後の明治22年(1889)に高椋村が誕生し,人口も増え,鉄道の敷設につながっていった。昭和30年(1897)に高椋村は丸岡町に合併し,高椋地区には町役場・警察署・本丸岡駅・小中学校等の町の主要施設が集中し,町の行政・教育・文化の中枢をなしていた。 平成18年(2006)3月には坂井郡4町が合併し,坂井市が誕生した。この機会に,先人たちが築いてきた高椋地区の歴史文化を見つめ直し,更なる継承と発展に努めたいものです。
1 高椋の歴史概要
…………………………………………………2 2 丸岡町の山や平地誕生……………………………………………3 3 平地へ進出した舟寄の縄文人
……………………………………4 4 金属技術を持っていた高柳・下安田の稲作人
……………………6 5 男大迹王の大和進出
……………………………………………7 6 大化の改新と条里制度
……………………………………………9 7 高向郷と荘園の発達………………………………………………10 8 武家政治の始まりと高椋
…………………………………………13 9 新しい仏教の出現…………………………………………………13 10 織田信長と一向一揆
……………………………………………15 11 丸岡城築城と丸岡藩
……………………………………………15 12
江戸時代の村の政治と社会 ……………………………………17 13 明治以降の高椋 (1)高椋村の誕生…………21 (2)福井震災記録 高椋編………22 (3)町村合併の丸岡町……24 (4)坂井市の誕生
………………25 14 たかむくの人口の変動
………………………………………25 15 高椋各集落史 …………………………………………………27
(以下数字はページ数)
第2章 高椋産業の進展
日本一美味しい米「コシヒカリ」を生み出した石墨慶一郎博士はここ高椋地区の舟寄で生まれた。高椋はコシヒカリの里とも呼ばれ,十郷用水・田島川・兵庫川と豊富な水資源にも恵まれ,古代から米作が盛んでした。 福井県農民の父「山田斂」は一本田で生まれた。明治33年(1900),県農事試験場を創設し,稲作栽培の試験を始め,新しい品種作りや土壌肥料の分析など近代農業の振興に力を注ぎ,さらには坂井郡農事試験場を設置するなど,多くの福井県農業の先駆者たちを生んだ。
高椋の農業の発展には,県や市の政策でもある農業用水の改修や土地改良があり,農業技術や経営を指導する坂井農場,改良普及所,そして農業協同組合JA等の果たした役割は極めて大きい。 また,高椋の地域は江戸時代から綿や桑の栽培も盛んで,綿や絹織物の機業が発達して,この地方の産業を支えてきた。この章では高椋の産業の今昔をたどってみたい。
T 農業編
1 十郷用水の歴史 ………………34 2 河川の改修 ……………………36 3 土地改良、耕地整理……………38 4 農地改革…………………………39 5 農業生産形態と技術の変遷 ……39 6 農業協同組合の歴史……………41 7 山田斂帝国農会長………………42
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U 商工業編
1丸岡繊維産業の起こり……………43 2 地域産業の変遷
…………………44 3 現在の商工業と高椋………………47
※なつかしい福井震災前のわが郷土…48
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昭和15年頃ののこぎり型屋根の織物工場
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第3章 学校教育と社会教育の変遷
明治6年(1873)に学制が公布され,それ以後全国各地に小学校ができた。ここ高椋地区では,儀間地区・一本田地区・舟寄地区・板倉地区に小学校ができ子どもたちの教育が始まった。現在130年以上の学校の歴史を重ねる中で幾多の変遷があった。特に,福井震災の苦難を乗り越え,高椋の教育はたえず丸岡の教育の先進をきってきた。
一方,社会教育の始まりは明治30年(1897)代,地域の青年会の設立から始まり,講話会,説教等の精神修養的なものや農事講習的な活動が主であり,地域ごとに活発な活動を行っていた。しかし,戦後なってしばらくは衰退を見せたが,昭和30年(1955)以降各地に公民館や集会場が建設されてからは青年団・婦人会・老人会・地区自治会等の多種多様な団体を中心に活発な活動が展開されている。
平成19年(2007)11月に発足した「たかむくのまちづくり協議会」の活動がこれからの社会教育の礎となれば幸いである。
T 学校教育編
1 明治・大正時代の学校 ………………………………………………50
2 昭和初期から戦時中の学校…………………………………………51 3 戦後の学校……………………………………………………………52 4 舟寄分校廃校…………………………………………………………57 5 小中学校教育課程の変革……………………………………………59
6 現代の丸岡の学校教育………………………………………………61
6
平成21年度の小中学校教育 …………………………………………63
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第1小学校(6年制) 板倉地区 明治30年に新築
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第2小学校(4年制) 儀間地区 明治30年に新築
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第3小学校(6年制) 今福と西瓜屋地区 明治30年に新築
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第4小学校(4年制) 舟寄地区 明治30年に新築
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U 社会教育編
1 社会教育の変遷………………………………………………………66 2 高椋公民館のあゆみ…………………………………………………67
3 高椋公民館活動の現状………………………………………………67 各種実践活動 坂井市成人大学 各種講座開設 4 たかむくのまちつくり協議会……………………………………………71 (1)総務部会
……………71 (2)安心安全部会
………72 (3)学習健康部会
………72 (4)環境部会
……………73 (5)ふれあい部会
………73 (6)歴史文化部会
………73
5 社会教育団体の活動…………………………………………………74 高椋老人クラブ連合会・高椋体育協会
……………………………74 新田公奉賛会・一本田観音院奉賛会
……………………………75 舟寄校下安心安全協議会・舟寄校下住民運動会
………………76
もみじの会・高椋西部ふくしの会
…………………………………77 舟寄踊保存会・舟寄村づくり愛好会 ………………………………78
酬恩講・舟寄連合壮年会
…………………………………………79 高椋生活学校・梨の郷生活学校
…………………………………80 高椋地区区長会
……………………………………………………81
第4章 高椋の歴史文化遺産
縄文中期から発展した高椋地区には,古代の遺跡からの出土品,泰澄大師が創建した古刹称念寺の歴史的な文化財,旧北陸街道や旧国道8号線に残る遺物,熱心な宗教心がもたらした遺物等,貴重な文化遺産が多く残っている。
一向一揆の時代に戦禍で焼かれ,また昭和23年(1948)の福井震災でなくなってしまったものが多くあるものの,先人たちが大切に保存継承した文化遺産を私たちは後世に伝え,これらを学ぶことにより,また新たな文化の創造につなげていきたいものである。
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激震で倒壊した高椋小学校(中央)
新築中の高椋中学校も倒壊(右側)
(提供 国土地理院 昭和23年米軍撮影)
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激震で倒壊した本丸岡駅(中央下)
震災後の火事で 焼土と化した丸岡中心街の様子
(提供 国土地理院 昭和23年米軍撮影)
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1 縄文中期〜古墳時代の文化遺産
…………… …………………………84 舟寄遺跡のクリの丸太・牛ヶ島石棺
2 称念寺の文化財…………………………………………………………84 他阿真教上人像・
新田義貞公墓所墓石・浄土三部経・天皇宸翰 ・阿弥陀三尊来迎仏 九重の石塔・称念寺縁起書・朝倉系図・寄進状や禁制・松尾芭蕉句碑 遊行上人縁起絵巻断簡模写・正一位受章追贈記念石碑・称念寺への石標 泰澄大師創建の称念寺沿革 3 高椋の城跡と宿場跡……………………………………………………89 黒坂備中守館跡 黒坂備中守の位牌 舟寄宿と舟寄七曲 4 舟寄踊 …………………………………………………………………91 5 高椋地区内の文化遺産…………………………………………………93 一本田観音院と千手観音菩薩像・庚申堂・涅槃団子・蓮如上人お手植え楓 高柳陣屋跡と救世観音菩薩像・蒔田雁門の墓・高柳石標・一本田中不動明
王 猪爪の弁財天・国神神社の閻浮檀金千手観音・法栄寺裏の河戸跡・足軽
屋敷と土原馬場・乗馬レース 6
高椋地区の主な寺社NO.2
………………………………………………98 蓮長寺・善教寺・西照寺・善立寺・観音寺・東得寺・台雲寺・八ツ口八幡神
社・舟寄白山神社
笹和田八幡宮・西里丸岡国神神社・牛ケ島八幡神社・吉政諏訪神社・八幡
町河濯神社
7 高椋歴史資料の発信
……………………………………………………103
第5章 高椋偉人伝
高椋には古刹の称念寺がある。寺の創建から寺の再興に係る人々の偉業が多くあり記録として残されている。称念寺は新田義貞公の墓所,明智光秀や玉(後の細川ガラシャ)ゆかりの寺,松尾芭蕉が奥の細道の途中に立ち寄った由緒ある寺でもある。 また,高椋西部地区を通る旧北陸街道は人々の往来が多く,人口も多かったことから,様々な分野の偉人たちが郷土のために多く業績を残して,高椋の文化を創ってきた。今日の地域の発展の影にはこうした先人たちの努力や苦労があったことを忘れてはならない。 ※高椋地区(高椋小学校校下と一部の関連地区)の方を記載しています。
1 称念寺の偉人たち………………………………………………………106 泰澄大師・他阿眞教上人・称念坊兄弟・新田義貞・明智光秀・玉(細川ガラシャ) 松尾芭蕉・秀道と順教住職・高尾察玄住職 2 江戸時代の高椋の偉人たち……………………………………………109 一本田観音院の石門と白毛和尚・高柳の蒔田雁門・俳人 蓑笠庵梨一・近代教
育の先 駆者 舟寄の頓野良郷・幕末の藩医 合屋文仲 3 明治以降の郷土偉人たち
………………………………………………112 日種宗淵・小林季太郎・山田斂・北甚之助・大森禅戒・
小原宗太郎・恩地政右エ 門・柳 原三郎・中野秀孝・中野重治・西田単像・武川庄吉・中野鈴子・伊東尚一・
吉田彰・中林 髏M・坪川家恒・石墨慶一郎・金崎栄次郎
・開高健・その他
第6章 高椋の民話伝説古い歌
高椋4,500年の長い歴史の中で,多くの先人たちが語り伝えてきたものがある。古老からの言い伝えや文献に記録されているものを調査しまとめてみた。民話や伝説が私たちに伝え教えるものは何だろうか。私たちは当時の人々の生活の様子や知恵を学ぶことにより,未来への進歩の手がかりを得たいものである。
民話編 ………………………………………………………………………122 恩地の姓・屋号「魚屋」・魚屋橋と清地蔵・中横町の薬師地蔵・下町の地蔵・狐の枕・十
郷用水の鹿伝説・尾白の狐・さらえ橋の怪・消えた花嫁・赤江橋の地蔵 西瓜屋のまつや地蔵1,2・まつやびんづけ物語・西瓜屋の六地蔵・おちょぼ岩 伝説編 ………………………………………………………………………128 高椋地区の伝説 田島川の一本杉・称念寺の海運業・八幡宮の「初音の松」・吉政の地名は「牛ノ
嶋」・新 間の地名の由来・牛ケ島と儀間の舟つなぎ松・新川と西裏屋川・八ツ口の二本松・丸岡
中学校敷地の土・丸岡祭りには雨が降る・赤江(赤江橋)の由来
高椋地区の古い歌編 ………………………………………………………132 子もり歌・手まり歌1・手まり歌2・あそび歌・ほたる狩りの歌・お月さん・田植え歌
味噌つき歌・舟寄踊・舟寄踊小唄・舟寄踊(横柳生)・のとめさん・おじゃみの歌 龍北中学校校歌・城東中学校校歌・龍北中学校校歌楽譜
第7章 日常生活の変遷
たかむくは古代から田島川,兵庫川,十郷用水の水運に恵まれて,肥沃な大地で,農業を中心に発展してきた。先人たちの生活の知恵や工夫が後世に継承されて,それが今日の私たちの恵まれた生活に繋がってきている。この章では現在の私たちの日常生活と対比させながら,先人たちの苦労や努力の跡,生活の知恵を学びことは,次なる世代づくりやたかむくの未来づくりを解く「生活の鍵」となるのではないだろうか。
第7章 日常生活の変遷 1
衣食住の移り変わり………………………………………………140 (1)衣生活
………140 (2)食生活………141 (3)住生活
………142 2
道路整備と鉄道の開通 …………………………………………143 (1)北陸道と一里塚
…………143
(2)鉄道の開通と丸岡 ………144 (3)交通機関の高速化………145
(4)新し道路の開通 …………146 (5)マイカーの歴史
………146 3
科学技術の進歩……………………………………………………147 (1)ろうそくから石油ランプ
(2)電球から発光ダイオード (3)電卓と印刷機の進展
(4)ラジオ・テレビの進化 (5)パソコンとインターネットの普及 4
身近な施設や機関の変遷…………………………………………150 (1)丸岡の電気と丸岡変電所
(2)郵便,電話の変遷 丸岡郵便局 (3)上下水道の歴史
(4)坂井市役所丸岡総合支所 (5)各保育所・保育園
(6)坂井警察署 (7)丸岡消防署(嶺北消防組合)
(8)本丸岡バスターミナル (9)丸岡に映画館
(10)福井銀行丸岡支店 (11)福井信用金庫丸岡営業部
(12)丸岡中央プール跡地に一本田公園 (13)丸岡商工会館
(14)丸岡スポーツランドと健康施設 (15)丸岡第2体育館
(16)ピアゴ丸岡店 (17)高椋地区戦没者忠霊塔 5
私の想い みんなの声 ……………………………………………………162 子どもの頃の舟寄は
…………………… 舟寄区 恩地庄治右衛門 誇れる我がふるさと「長崎」………………
長崎区 伊藤義郎 本物のトロッコ
……………………………長崎区 中林亮一 尊い蓮如様のご縁をいつまでも…………
長崎区
斉藤隆夫 私の福井大震災
………………………… 西里丸岡 吉田昭宣 なつかしい道
…………………………… 舟寄 大霜徹夫 子どもの頃の思い出と猪爪の変貌………
猪爪本区
酒井政雄 細川ガラシャの生誕地は称念寺 ………笹和田区
松本盛博 高椋小学校時代の思い出………………
西瓜屋1-1 島田敏夫 道路は楽しい遊び場だった
…………… 西瓜屋3区 杉本桂子
資料編………………………………………………………………………………171 ○明治32年(1899)の測量図 ○高椋歴史年表 ○高椋地区の学校史年表 ○参考文献 編集後記 たかむくのまちづくり協議会歴史文化部会長 松本盛博……………176 巻末見返し 昭和5年(1930)の測量地図
あ と が き
たかむくのまちづくり協議会
歴史文化部会長(編集代表者) 松 本 盛 博
1871年(日本では明治維新の頃)から19年間統一ドイツ帝国の初代宰相に君臨したビスマルクは「賢者は歴史に学び,愚者は経験に学ぶ」という言葉を残しています。これは単に歴史をしっかり学べというのではないと思います。自分のもっているこれまでの経験や体験のみで行動するのではなく,過去におけるいろいろな人々の知恵や知識,情報をもとに行動することが賢明であろうとビスマルクは言っているのです。
平成18年3月坂井市が誕生し,新しいまちづくりが各地域や機関で展開されています。ここ高椋地区では平成19年11月に,たかむくのまちづくり協議会が発足し,新しいまちづくりの模索が始まりました。私たちは先人たちが知恵と汗をふりしぼり取り組んだ歴史的な事実や成果を真剣に受け止め,それらがどんな経過で現在に至っているのかを学び知ることがビスマルクの言葉に通じると思います。 私たち歴史文化部会では,まず部会員が高椋地域の歴史や文化を調査し,それらを歴史情報として住民に広く伝えることが役目と考え,これまでに高椋歴史散策リーフレット制作,歴史散策会,歴史資料パネル展等を実施してきました。 そして,これまでの集大成として、高椋地区(一部高椋東部地区を含む)の歴史資料を読本「たかむく玉手箱」に編集することになりました。 ところが資料収集の段階で大きなハードルがあり,つまり旧高椋村には高椋村史なる著書がなく,ここ高椋地区の歴史資料となると丸岡町史に頼らざるを得ないという現状でした。町史では集落等の地区歴史資料の掲載は乏しく,また福井震災で多くの地区歴史資料をなくしている状態でした。それでも今回の調査でわかった現存する地域歴史資料刊行物には「高椋小学校 郷土史」昭和6年発刊 柳原縫之助著・称念寺所蔵の「称念寺文書」・一本田の山田家の古文書「一本田観音院由緒書」・昭和33年城東中学校PTA発刊の「丸岡めぐり」・「江戸時代から昭和期の西里丸岡村歴史資料集」吉田哲著等があり,更に最新の資料として平成16年度以降に県教育庁埋蔵文化財センターが行った「舟寄遺跡」や「高柳・下安田遺跡」等の発掘調査報告書等がありました。 これらをもとに部会員並びに調査に協力していただいた多くの方々のご支援を得て,高椋の地域歴史読本「たかむく玉手箱」を編集することができました。私ども浅学非才の上,約2ケ年間という短期間での編集で,内容が希薄煩雑になってしまったこと,お許しいただきたい。 最後に,この読本に資料や写真等を提供していただきました方々に感謝申し上げますとともに,寄稿していただきました坂井市長坂本憲男様をはじめ関係各位に厚くお礼申し上げます。そして高椋地域の歴史読本「たかむく玉手箱」が,末永く後世に伝えられることを切にお願い申し上げます。
平成22年3月吉日
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