(4)玉または珠(細川ガラシャ)
(1563〜1600)
光秀が長崎に身を潜めて,再起をねらっていた永禄6年(1563に妻の煕子との間に三女(二女説,四女説もある)玉が生まれた。玉は永禄9年(1566)に東大味(現在の福井市東大味)に移居し、7歳の頃までこの長崎地区と福井市東大味で幼少期を過ごした。その後滋賀県坂本城で過ごし,15歳の時織田信長のすすめ細川忠興に嫁ぐ,天正10年(1582)父の光秀が本能寺で主君の信長を討った(本能寺の変)ことから,玉は「逆臣の娘」とり,約2年間丹後の味土野に隔離幽閉していたが,羽柴秀吉の取り計らいで,細川家の大坂屋敷に戻された。その頃から,玉はカトリックの教えに心ひかれ,やがて,ガラシャの洗礼名を受けた。関ヶ原の戦い直前の慶長5年(1600)7月16日,西軍石田三成は細川家にいたガラシャを人質に取ろうとした。ガシャは拒絶したが,次の日三成の兵に囲まれ,ガラシャは自の家老に槍で部屋の外から胸を貫かせて自害した。38歳だった。
このガラシャの死をモデルとした戯曲「気丈な貴婦人」(グラーシャ)が,神聖ロー帝国のエレオノーレ・マグダレーナ皇后の聖名祝日の祝いとして1698年7月31日にイエスズ会の劇場でオペラとして発表され,ガラシャの名前が世界に発信された。 出典:フリー百科辞典ウィキペディアより
|