【 加納 銕哉 】   かのう てっさい   1844〜1925


弘化元年(1844)岐阜県生まれ。本名は光太郎。父・鶴峰に南画と彫刻を学び、出家して仏画の研究を修める。

還俗して銕哉と号し、鉄筆画という独自の技法で画と彫刻を業とする。

官命にて社寺宝物取り調べのため、京都・奈良などの古美術を探訪、古典技法の修熟につとめ、その技法は木彫・銅像・乾漆と多岐にわたる。

東京美術学校創立時に教授として彫刻を教える。大正14(1925)歿、81歳。