【 鳥野 幸次 】   とりの ゆきつぐ   1873〜1961


明治6(1873)84日福井県丸岡町生まれ。柊のや・荊山(ケイザン)・守愚庵(シュグアン)と号す。丸岡藩の藤原朝臣鳥野連母(ムラジ)の次男。

幼少より和歌や文学を好み、18歳のとき上京。今泉定介のもと勉学に励み、国学院大学を卒業。

明治30年学習院助教授を拝命、のち教授となる。大正12年宮中御歌所寄人の光栄に浴し、国学院大学教授、宗教大学講師をつとめる。

文部省中等教員検定試験国語科委員を依嘱。昭和19年皇后陛下と歌会「奥の研究会」を発足。間照宮内親王殿下、孝宮内親王殿下、三宮殿下に御進講。

侍従事務嘱託、侍従職御用掛依嘱、侍従職御用掛、大正天皇御製編纂員、貞明皇后御歌集編纂員、明治天皇昭憲皇太后御集編纂会常任委員。


昭和24年相模女子大学(学長:松平康昌)設立にあたり、学芸部長・理事・学監・大学部長等を歴任する。また各地歌会の選者も引き受けられた。

昭和36(1961)418日歿、87歳。正三位に叙され、勲二等瑞宝章を授章する。