【 松平 茂昭 】   まつだいら もちあき   1836〜1890


天保7(1836)8月江戸溜池の糸魚川松平家邸に生まれる。越後糸魚川藩主・松平直春の子。

はじめ直廉(ナオキヨ)のち茂昭と改め、巽嶽(ソンガク)・春斎と号す。

糸魚川松平家は、参勤交代を行わない定府大名で、福井四代藩主・光通の庶子・直堅の流れをくみ、直廉はその九代目当主である。

安政4糸魚川藩1000石の藩主となる。

安政57月井伊直弼との政事に敗れて、隠居急度慎を命じられた松平慶永のあとをついで、福井藩十七代藩主となる。

幕府激動多難の中によく藩を治め、政局の中心にあった養父・慶永を助ける。

しばしば国政に参加して建議、長州征討にあたっては、副将として出陣、また会津征討にも藩兵を指揮する。

維新後、すすんで版籍奉還を行い藩知事となり、侯爵を授けられる。

明治23(1890)7月歿、55歳。