【 松平 慶永 】   まつだいら よしなが   1828〜1890


文政11(1828)92日生まれ。田安斎匡の八男。春嶽・春岳・礫川・東郭・鴨東・鴎渚・閑鴎などと号す。

天保911歳のとき、越前松平家の養嗣として福井藩16代藩主となる。


安政5日米通称条約の無断調印に反対、将軍継嗣問題では一橋派の中心となり、橋本左内らを活躍させたため隠居謹慎となる。

桜田門外の変後それが解かれ、政事総裁職につき、将軍後見職の徳川慶喜と協力し、幕政改革・公武合体を進める。

国表では熊本より横井小楠を招き、由利公正らを登用して藩政改革を行う。


大政奉還、王政復古にあたっては、将軍慶喜に絶対服従をすすめ、徳川一族の救解にも精魂する。

明治新政府では議定となり、明部卿・大蔵卿・大学別当を歴任。

明治3以降は公職を辞して著述に専念し、多くの史書や随筆を遺す。

明治23年(1890)6月3日歿、63歳。