【 橋本 左内 】   はしもと さない   1834〜1858


天保5(1834)福井藩医の家に生まれる。本名は綱紀、通称は左内、景岳と号す。

16歳のとき大坂に出て、尾形洪庵の適塾に入門。21歳のとき江戸に遊学、杉田成卿、坪井信良らに蘭学と医学を学ぶ。

藤田東湖、西郷隆盛ら他藩士とも交遊する。

藩主・松平慶永公にその学才と識見を認められ、安政2(1855)22歳で福井藩医を免ぜられ藩政に参与、また御書院番、藩校明道館学監をつとめ、藩内の教育にも尽力する。

将軍継嗣問題が起こると、慶永公のもと一橋慶喜を擁立すべく京都、江戸に活躍、大いにその抱負を行わんとする。

安政5(1858)安政の大獄で捕らえられる。