【 間部 詮勝 】   まなべ あきかつ   1804〜1884


文化元年(1804)福井県鯖江生まれ。五代・詮熙(アキヒロ)の三男。幼名は鉞之進のち詮良、元服後は詮勝、松堂・常足斎・晩翠軒などと号す。

文化11(1814)9月家督を相続して、鯖江5万石藩主となる。雁の間詰、寺社奉行加役、大坂城代、京都所司代を歴任する。

天保11(1840)1月西の丸老中に就任するが、その後、水野忠邦と意見が合わず辞任する。

安政5(1858)大老・井伊直弼により老中に再任され、勝手掛、外国掛となり、紛糾した政局の収拾にあたる。

井伊大老の命を受けて、安政の大獄を指揮するが、のち獄中志士の寛刑論で大老と対立し、翌年役職を解かれる。

在職中の追罰を受けて減封、隠居謹慎を命じられる。
明治17(1884)歿、81歳。