【 冨田 溪仙 】   とみた けいせん   1879〜1936


明治12(1879)129日福岡県博多生まれ。本名は鎮五郎。はじめ上田鉄耕に師事し狩野派を学ぶが、京都に出て都路華香に四条派を学ぶ。

日本絵画協会展、日本美術院連合共進会展、日本美術協会展、新古美術品展、後素協会展などに歴史画を出品、入選を重ねる。

内貴清兵衛に支援を受け、また仙墾池大雅、与謝蕪村らに関心を深め、各地を旅行し写生や古仏画の模写に打ち込み、次第に四条派から離れる。


大正元年第6回文展に『鵜船』で初入選、横山大観に認められ、大正3年再興された第1回院展に『鼎峠行人』を出品、翌年日本美術院同人となる。

反骨の画家、自由な画家として西欧の新傾向も摂取しつつ個性ある画風を展開する。


昭和10年帝国美術院会員、翌11年春の改組帝展に審査員として『万葉春秋』を出品するが、帝国美術院会員を辞任する。

昭和11(1936)76日京都市で歿、56歳。