【 山元 春擧 】   やまもと しゅんきょ   1871〜1933


明治4(1871)1124日滋賀県膳所生まれ。幼名は寛之助、本名は金右衛門、別に円融斎・一徹居士と号す。

はじめ野村文擧に四条派を、のち森寛斎に師事し円山派を学ぶ。


明治19年京都青年絵画研究会展に『呉孟』で一等褒状を受け、京都博覧会、内国勧業博覧会、日本青年絵画共進会、新古美術品展などで受賞を重ねる。

「如雲社」「後素協会」の委員として参加。


明治32年京都市立美術工芸学校教諭。

明治33年画塾「同攻会」(明治42年「早苗会」と改称)を主宰し、後進の指導にも尽力する。

明治40年第1回文展から審査員をつとめる。

大正6年帝室技芸員、京都市立絵画専門学校教授。大正8年帝国美術院会員となる。

風景画・山岳画に多くの名品を制作、明治後期から大正にかけて京都画壇の重鎮として、竹内栖鳳とともに活躍する。

門下からは多数の優れた画家を輩出する。昭和8(1933)712日京都市で歿、61歳。