【 内海 吉堂 】   うつみ きちどう   1849〜1925


嘉永2(1849)123日福井県敦賀生まれ。父は内海元紀。本名は復、字は休郷、通称は鹿六。

滋賀県湖東の医師・小菅兎峰について漢学を、のち京都に出て四条派の塩川文麟に師事する。花鳥画、特に鯉画を得意とする。


明治初年中国に遊学すること2回、各地の旧跡名画に接して研鑚、南画家の道に進む。

明治19年京都青年絵画研究会に参加、審査員。


明治21年京都府画学校に出仕。

明治28年第4回内国勧業博覧会で褒状。

明治29年日本絵画協会第1回絵画共進会に『富貴耄耋』、明治30年春の第2回に『長春群鶏』、秋の第3回に『桟道長春』でそれぞれ一等褒状を受賞。

明治30年第1回全国絵画共進会に『武陵桃源』、明治32年第2回に『東坡遊石鐘山』で三等銅牌、明治40年『松巒瀑布』で三等銅牌となるなど日本美術協会展で受賞を重ね活躍する。


大正元年第6回文展に『船過孟浪梯図』で、翌年第7回文展に『江南春靄』で入選する。

大正14(1925)109日京都市で歿、75歳。